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人形山登山道のひとつの到達目標地点になる宮屋敷は、苔状の草しか生えないほどに土が少なく岩肌の目立つ小さな広場である。昔、上梨白山宮神殿が立っていた場所と伝えられる。
人形山は泰澄大師の開いた修験道の山で、往古山岳宗教の時代には修験道山伏がここ神殿祈願所として修験の道に励んだ聖山といわれている。
宮跡に礎石も遺物の破片も残っていないが、平坦に石を敷き詰めた宮屋敷跡を偲ばせる。上梨白山宮が中世の歴史資料となる宝物を数々所蔵することと、白山宮縁起にある人形山頂より移すことの記録からみて、ここ宮屋敷は村の古い歴史に位置づけられる旧跡である。 |
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祭神は、白山菊理媛命で、十一面観世音菩薩妙理大権現の御正体を奉安し、現在も33年毎に開帳される慣例である。
本殿の様式は、正しくは、一間社流見世棚造板葺と称する形で飾りも少なく簡素である。 |
身舎は丸柱で、舟肘木をのせ前側は、入側に板唐戸を建てて別木の定規橡を上下に、差し込んで施錠するようになっている。妻飾りは 首組とし、角紅梁の上には秀麗な形のすかし蟇股を篏め、この時代は、まだ木 技術が幼稚であったようで木割は、半分ほど挽いて割ったもの、又挽いた上を釿で削ったものなど随分苦心して作った跡が見受けられる。これに反して蟇股、手、木鼻などは実に優秀である。また軒の出だけで順に反らせて軒反りを造るなど小建築ながらまことに要領を得た作品である、造建年代は棟札により文亀2年(1502)ということが明らかで県内最古の建築物ともいわれ、昭和29年解体修理を完成させた。
由緒によれば、元正天皇の時代に、越の泰澄大師が越中、飛騨国境の人形山頂に創建されたと伝え、後に兵火のため堂塔が焼失し、小祠を建てて安置していたという。その後平安末期の天治2年(1125)3月26日に集落の市郎右衛門先祖に神託があったので現在地に移遷し、なおその後、村へ遁入した吉野朝の遺臣達の勧請によって、宗良親王、新田一族の霊をも祭神として併せ祀ったと伝える。
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かえるまた
蟇股(かえるまた)とは、
屋根の荷重を柱や梁に
効率よく伝える構造材です
上から受けた荷重を
直接下に伝えるのでなく、
蛙が股を開いてしゃがんだように、
見えるためこう呼ばれています
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