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流刑小屋に設置されている説明看板
 五箇山地方の東岸は、庄川の断崖絶壁に隔離されて、加賀藩では流刑の好適地として多くの流刑人を送りました。

 この田向集落もその一つで、約350年前の元禄3年(1690)に藩士安見与八郎が流されてから嘉永六年(1853)まで約24名の人たちが流されてきたことが集落文書で知られています。

 流刑人の長いのは文政4年(1821)から34年間もこの地にあって病没しました。また加賀騒動で名高い大槻朝元の生男七之助も、宝暦9年(1759)からここに流さました。
 平の流刑人は住民との交友を許されていたので、学問や社会知識の指導者として慕われている人もいました。
 しかし重い罪人は、3.6m×2.7mの「お縮(しま)り小屋」に入れられ、住民と語ることもできませんでした。

 この流刑小屋は、明和5年(1769)に田向集落が大火で焼けた後に新築されたと言われています。小屋は集落内に三棟あった一つで、約10m六畳板敷三方板かこいの内に、約0.9mの便所を設けたもので、便所横の柱には食物を出し入れする蓋付の穴があり、反対の方には高さ1.2m、巾0.75mの格子の潜戸があって罪人の出し入れの外は大錠が懸けてありました。廃止後は民家の一部に利用してあったので、長年月に朽ち、昭和38年の豪雪に倒壊しました。全国的にも流刑小屋の遺構がないので、原寸に随って腐触材を取替え昭和40年5月復元されました。全国唯一の珍しい民俗文化財です。
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流刑小屋は、喫茶こきりこと作助の間にある橋を渡りきったところにあります。
崖の斜面に近いところに建てられており、中には罪人の人形(侍みたいな格好をしています)が入っています。
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